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歴史の中の異世界
稀代の陰陽師・安倍晴明

-生成り姫- 藤原祐姫
映画『陰陽師』で道尊(真田広之)対晴明(野村萬斎)の戦いがメインストーリーですが、サイドストーリーとして源博雅(伊藤英明)と祐姫(夏川結衣)のほのかな恋愛物語もその悲劇的な祐姫の末路と共に印象に残るものとして仕上げられています。
劇中“生成り姫”のモデルと推測される村上天皇の後宮に仕えた藤原祐姫をご紹介します。
後宮はライバルだらけ
藤原祐姫の父は先にご紹介した正三位大納言・藤原元方で母については不明です。
天暦4年(950)に映画『陰陽師』と同様に村上天皇第一皇子となる廣平親王を産んでいます。
しかし同年5月に誕生した藤原安子の産んだ第二皇子となる憲平親王に皇太子の地位を“奪われ”て、失意の父・元方はその死後、憲平親王(冷泉天皇)の“怨霊”になったと史料に記載されており、この部分が映画『陰陽師』のサイドストーリー作成の参考にされているのではないか、と推測できます。
当時は背景勢力の強い外祖父(母方祖父)を持つ皇子が東宮に指名される傾向が顕著となった時期です。
廣平親王誕生の翌年、天暦5年(951)には当時は従三位中納言元方と同じ地位にいた後の左大臣藤原在衡を父に持つ更衣・正妃致平親王が誕生していますし、翌々年の天暦6年(952)には安子自身にとっては二人目の皇子となる為平親王が誕生しています。
この為平親王源高明の娘と婚姻したため、廟堂勢力が源高明系へ移ることをを恐れられて、安子出産の皇子でありながら、立太子候補から敢えて外され、尚且つ、舅である源高明は左遷されるという事となりました。
誕生即日死亡した皇子を含めると村上天皇には第一皇子・廣平親王が誕生した天暦4年(950)から康保2年(965)の間に10人の皇子の誕生が史料に確認されるように、憲平親王立太子が余りにも早い時期だったために廣平親王一人が被害者のように感じられますが、もし立太子候補の選抜がもう少し後年のことになったとしても、 たとえ憲平親王が生まれていなかったとしても、村上天皇第一皇子であるという理由だけでは廟堂の勢力者を後援者として持たない廣平親王が帝位後継者指名の対象となる可能性は低かったと言えるのが当時の状況だったのです。
それは村上天皇の父・醍醐天皇の第一皇子である源博雅の父・克明親王が皇太子となれなかったことを考えればご想像していただけるのではないでしょうか。

誕生   名 前 母父(外祖父)
天暦4年(950) 廣平親王 更衣・藤原祐姫 大納言・藤原元方
天暦4年(950) 憲平親王
(冷泉天皇)
女御・藤原安子 右大臣・藤原師輔
天暦5年(951) 致平親王 更衣・藤原正妃 左大臣・藤原在衡
天暦6年(952) 為平親王 女御・藤原安子 右大臣・藤原師輔
天暦8年(954) 昭平親王 更衣・藤原正妃 左大臣・藤原在衡
天暦10年(956) 昌平親王 女御・藤原芳子 左大臣・藤原師尹
天徳3年(959) 守平親王
(円融天皇)
中宮・藤原安子 右大臣・藤原師輔
応和2年(962) 某皇子 女御・徽子女王 式部卿・重明親王
応和4年(964) 具平親王 女御・荘子女王 中務卿・代明親王
康保2年(965) 永平親王 女御・藤原芳子 左大臣・藤原師尹
藤原祐姫・安子略系相関図
藤原祐姫・安子略系相関図
※凡例
兄弟
婚姻関係
尼になった祐姫
さて、映画『陰陽師』の劇中では帝の寵愛が薄れたことへの怨みの念から“生成り”となり、その姿を伊藤英明さん演じる源博雅に見られたことを恥じて自害に及んだ設定となっている祐姫ですが、史料では父・元方が天暦7年(953)3月21日に死去した後も生存し、その直後辺りに村上天皇第8皇女・緝子内親王を出産したようです。
祐姫の生没年は不明ですが、天禄元年(970)に緝子内親王、翌年の天禄2年(971)9月に廣平親王が亡くなっており、もし祐姫が生存中だったのなら、相次いで我が子に先立たれる悲哀は帝の寵愛を失う比ではなかったかも知れませんね。

二宮・憲平親王の母だったライバル・藤原安子よりも、“”よりも長く生きたようで、村上天皇が康保4年(967)5月に崩御すると、2ヶ月後の7月15日には『その菩提を弔うために尼になった』という記事が史料に確認できます。
史料の中の祐姫は“恋の恨みの鬼”にはならず、亡き夫・村上天皇の菩提を弔うために“仏に仕える道”を選んだ女性として足跡を残しています。


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