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映画『陰陽師』では道尊(真田広之)が世の中を思い通りに動かすために亡き者にしようと企てる標的として岸部一徳さん演じる“帝”が登場します。
しかし帝の情が他の女性に移ったことを嘆き、恨みの念から“生成り”に変身する祐姫(夏川結衣)に襲われるシーンの方が強く印象に残るのではないでしょうか(^^;)
帝のモデルと推測される村上天皇の略歴をご紹介します。
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天暦御門 ─ 村上天皇 |
村上天皇は第60代天皇・醍醐、皇后・藤原穏子を母として延長4年(926)6月2日にお生まれになり、御名は“成明”と言います。
東宮にお立ちになられたのは御年19歳の天慶7年(944)、同腹兄君の第61代天皇・朱雀の譲位で皇位をお継ぎになったのは天慶9年(946)4月で御年21歳であられました。
時代は律令解体期にあり、先帝・朱雀の御世に摂関となった藤原忠平の死後は内覧も置かず、摂政・関白も任命せずに天皇親政を行われ、 詩歌や各種の技芸を愛好し、文化も栄えたため、父帝・醍醐天皇と同様に賢帝の誉れが高かったと言われており、“天暦御門(てんりゃくのみかど)”とも呼ばれ、その治世は“天暦の治”とも呼ばれます。
30巻にも及んだと推定される『村上天皇御記』と言う日記をお書きになられ、この日記は『村上天皇宸記』、『天暦御記』と呼ばれ、現在は『延喜天暦御記抄』に断簡が伝わるだけとなっています。
また鎌倉時代初期の天台座主・慈円の著書『愚管抄』には
─ 后・女御は10人、男女の御子は19人であった
と記されており、『栄花物語』からも親王9人、内親王10人を確認することができますが、村上天皇ご自身が呪詛されたか否かは不明です。
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村上天皇略系図 |
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ミスキャスト? |
皇后・藤原安子を母とする二ノ宮・憲平親王は、同年に更衣・藤原祐姫を母として誕生した兄である一宮・広平親王を追い越して、村上天皇の皇位を継承します(冷泉天皇)が、この史実が劇中“生成り姫”の基になっていると思われます。
史実では二ノ宮・憲平親王が誕生したのは天暦4年(950)の5月24日とされており、父である帝=村上天皇の年齢は24歳の青年でした。
1947年生まれの岸部一徳さんが帝を演じられた当時は53歳前後でいらっしゃったと思われ、村上天皇の年齢とは30歳近く年長の“帝”だったことになります(^^;)
史実のイメージとかけ離れるのは否めないところですが、 それ以上にグループサウンズの王者、ザ・タイガースのメンバーとしての“アイドル”から、見事に実力派俳優としての演技力を身につけた岸部さんの“帝”は「さすがは京都ご出身」と思えるほどに、“やんごとなき御方”の雰囲気を見事に演じてらっしゃったと言えるのではないでしょうか。
『陰陽師』は歴史映画ではなく、娯楽作品でもありますし、必要以上に史実を気にすることはありませんよね(^^)
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